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『ADHDの子供を救う50の方法』 本の紹介 [薬を飲ませる前にできる]

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発達障害 [ADHD・ADD]

ADHDについて。

『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 という本を読みました。
トーマス・アームストロング 著

 

 

アメリカでロングセラーの決定版☆

 

 

 

ADHD関連本は何冊も読んでいます (7冊くらい) が、この本を読んでみて、自分はADHDについてこれまで理解が足りなかったな… この本と出会えてよかったな、という気持ちになりました。

本屋さんや図書館にあるADHD関連本のほとんどは、ADHDを医学的疾患と捉えて書かれています。

疾患なので、本の中では 「薬を用いて治す」 ことが勧められています。

これは、問題のありかを本人のなかに求めようとする捉え方です。

しかし、ADHDを医学的疾患と捉えることに異を唱えるひとの本も、読んでみると面白いかと思います。

この本の著者であるトーマス・アームストロングは、本の中でこのように述べています。

 

 

ADHD的な行動を引き起こす原因は、複雑で多面的です。
文化的・社会的な原因もあれば、その子特有の理由もある。
たとえ生物学的な論点が一番大事だと思える場合でも、生物学的傾向と文化的、社会的、教育的、あるいは心理学的要因がからみ合ってはじめてADHDの徴候が生み出される。

 

 

問題は、本人の中にあるのか? 文化や社会にあるのか?

ネガティブな捉え方、ポジティブな捉え方。

いろんな捉え方を知ったうえで、ADHDについて、自分の頭のなかで整理してみるといいかもしれません。

本の内容を一部抜粋してご紹介します。

(短くするため、若干、文章を丸めてあります。 ぜひ、本でも読んでみてください。)

 

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私は特殊教育のクラスを5年間教えましたが、みんな素晴らしい子供達ばかりでした。

そうした子供達を相手にするうちに、わかってきたことがあります。

誰でもちゃんと学べるということ、ただしそれぞれに学び方が違っているということです。

その後、多重知性の理論を知ったことで、子供達ひとりひとりの「学びのスタイル」が説明できるようになったのです。

ハーバードのハワード・ガードナー教授が書いた本によると、知能には少なくとも7つの種類がある。

 

① 言語的知能
② 論理数学的知能
③ 空間的知能
④ 身体運動的知能
⑤ 音楽的知能
⑥ 対人的知能
⑦ 内省的知能

 

どんな子供でもこの7つの分野の能力すべてを持っています。

ただし、それぞれの能力をどんな形で発揮するかは、子供によってまちまちだということです。

ガードナーによれば、まだ幼いうちから、子供はこうした知能のどれか1つか2つに強い傾向を示し始めます。

ところが学校に行きますと、2つのタイプの知能 (言語知能と論理数学的知能) が重視されがちになります。

けれどもその分野に難のある子は、他の5つの知能が優れていたとしても、ADHDかLDのレッテルを貼られかねません。

私自身が調べたところ、学校で問題のある子供達は、身体運動的知能 (身体を動かして学ぶ) や空間的知能 (視覚的にものを考える) の高さを示すことが大変多いとわかりました。

こうしたADHDのレッテルの問題を解決するには、ガードナーのモデルにある7つの知能すべてを伸ばせるような授業をすることです。

音楽、空間、対人の知能の高い生徒たちが教室で自分の強みを発揮できる機会が増えれば、そうした知能を不適切なかたちで 「行動に表す」 必要がなくなるのです。

つまり、机を叩いてリズムをとったり、小声で歌ったり、隠れてipodを聴いたり、頭のなかに流れる曲に合わせて身体を動かしたり、空想にふけったり、いたずら描きをしたり、勝手にまわりの子とおしゃべりをしたり、手紙をまわして秩序を乱す、といった行動が減るということです。

 

『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より

 

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ADDの子達は、手を動かして何かすることを好みます。

スタンフォード大学のロバート・マッキムはこう書いています。

「彫刻家は粘土に触れることで思考する。科学者は三次元の分子モデルを扱うことで思考し、デザイナーはボール紙の模型を組み立てたり並べ替えたりすることで思考する。

材料を見て、触り、動かすこと。つまり自分の内面的なプロセスを対象物に外面化することで、思考しているのだ。

芸術やデザインのみならず、科学や工学の分野でも、現代の第一人者の多くは、思考という古びた精神活動の生産性を尊重している。」

私は何年も、いわゆるADHD児の親や先生と連絡をとり合ってきましたが、こうした子供達の多くは、明らかに触覚型、つまり、手を使って学習するタイプのように思えます。

「ADHDの子供達」が、手を使った活動を強く求めていることはあきらかです。

まわりの迷惑にならないようにしながら、その欲求を満たしてあげましょう。

例として、レゴブロック・ティンカートイ・積み木・ビーズ・折り紙・粘土・トランプ・ジオボード・タングラム・数字ブロック・科学の実験・ジオラマや模型・手工品を作って小説の筋や歴史上の年代を表現・ポップアップ絵本・こすると匂いの出る本・ページを切り離して別の順に並べ替える本・フィンガーペイント など。

 

『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より

 

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あるADD関連の会議に出たときのことです。

ある展示の場所で、コンピュータ画面の前に座った私は、技術者の手で頭に電極をとりつけられました。

画面には白い箱が1つあり、その中に小さな緑の箱が1つ入っていました。

そして、白い箱の両側にも、小さな緑の箱が1つずつ。

座って眺めているうちに、白い箱のなかの緑の箱の大きさが変化していることに気づきました。

「中央の緑の箱が白い箱に触れるようにしてください。そして、両側にある2つの箱は、白い箱に触れないように。」 と技術者が言いました。

頭のなかでやるビデオゲームみたいなものです。

操作用のジョイスティックやマウスは無し。

このとき私が体験していたのは、バイオフィードバックの一例でした。

ADDのレッテルを貼られた子供のための、有望な薬に頼らない治療法で、主な目的は、脳波を変化させることです。

ADDのレッテルを貼られる子供は、シータ波が出ていることが多く、ベータ波が少ないとされています。

バイオフィードバックは、こうした子達のシータ波を減らし、ベータ波を増やすことで、注意力や集中力を高めようとする試みなのです。

ただしこの分野の第一人者で、テネシー大学のジョエル・ルバーは、こう釘を刺しています。

「シータ波が悪いものでベータ波がいいものだという印象は持ってほしくありません。

ずっと以前から、シータ波は、創造性や視覚イメージと結びついていることがわかっていました。

ベータ波のほうは、閉じられた焦点、固定された焦点、異質な刺激の多くを排除する徹底した集中、などと関連づけられます。」

バイオフィードバックは、子供にはとても魅力的なものです。

テレビゲームのようだし、鮮やかな色や音がついている。

すぐにフィードバックがあり、上手くできれば褒美がもらえる。

効果のほどについては、科学的な研究が現在行われているところですが、予備調査の結果を見る限り、薬に頼らない方法を探している親御さんにとっては注目に価する選択肢と言えるでしょう。

 

『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より

 

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まだ幼い子供の頃は、人間が一生のあいだで最も貪欲に学習する時期です。

何か面白そうなものに注意を惹かれるまま、偶発的に知識を吸収することで、歩く、話すといった複雑な事柄をマスターしていくのです。

数百万年の進化によって、人間の幼児は、自然な探究心や好奇心、変わったものや真新しいものへの欲求などを本能的に持つようになりました。

だから人間のなかには新たな可能性を探す力が常に備わっている。

これは、外部の状況が変化し適応が必要になった時には、たしかに有効な財産と言えます。

ADDとされる一部の子供達は、かなり年をとっても、こうした外界に適応して偶発的学習を行う特別な能力を持ち続けているのかもしれません。

でも残念ながら、たいていの教室は、 「意図的な」 学習を基盤にしています。

しかし、私達が生まれてから学ぶ事柄のうち、おそらく98%は、偶発的学習によるものなのです。

親や先生は、ADD児にものを教えるための方策を考えるにあたって、この偶発的学習の能力を活かす必要があります。

ここ20年ほどのことですが、偶発的学習によって早く、より簡単に学ぶという教育の一分野が生まれてきました。

スーパーラーニング、暗示学習法、加速学習法 など様々な呼び名がありますが、この新しい学習法は、知識が偶発的に楽しく吸収されるような環境を作り出し、幼児が周囲の環境から自然に学習するときの条件を再現しようとするものです。

 

『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より

 

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ここ数年、数えきれないほどの親御さんから、行動や学習に問題のある子供が公立学校のプログラムで苦労しているというお話が届いています。

ほとんどの場合、お子さんは、暗いシナリオから学校生活が終わるまで逃れられません。

でも、私立の新方式学校に行かせるか、家庭でのホームスクーリングを行うという方法もあります。

私立学校の校長先生のお便りに、こういうものがありました。

「ADDのレッテルを貼られた子供が入学してくることもありますが、わが校ではこうしたレッテルはあまり意味を持ちません。 そうした子供が問題になることもありません。

私どものプログラムは全て、子供主導の活動のみにもとづいたもので、子供達は大人の干渉を受けずに自分の時間とやる事をコントロールしています。

実を言いますと、これまで深刻な問題を起こしたことがあるのは、リタリンなどの向精神薬を長く飲まされていた子供達だけです。

そうした子達は悲しいことに、自分が厳しく統制されないような環境に置かれると、途方に暮れてしまうことが多いのです。」

 

『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より

 

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ADHDは、ある意味ではこの社会全体が作り出したものかもしれません。

子供達のADHD的な行動は、これまでの価値観が崩壊していることの反映ではないかということです。

ハーバード大学教授のグリンプソンとシンガーは、20年も前にこう述べています。

「多動は、社会的な問題として扱うのではなく、ただ身体的な病気として片付けられる、都合の良いレッテルになってしまっている」

そして、教師の権威の崩壊と共に家族の崩壊についても述べています。

なかなか子供のそばについていられず、子供の情緒面での発達に欠かせない指導やサポートをしてやれない親が多くなっているとのこと。

 

『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より

 

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アントワネット・ソーンダースとボニー・レムズバーグは、著書のなかでこう指摘しています。

「ストレスのかかっている子供がとりわけよく示す徴候は、落ち着きや集中力の欠如、イライラした行動。」

要するに、注意欠陥障害と同じ行動ということになります。

研究者たちはこう記しています。

「小児期のうつは、学校での多動性という問題の根底にある主要な障害なのかもしれない。」

だとすれば、多動性や散漫性のある子供達の多くは、実はADHDではなく、家族や学校その他の問題のせいで不安になったりうつになったりしているだけかもしれないのです。

ただし、ADHDとされる子供全てが、ストレス関連の不安やうつのために多動になったり注意散漫になったりするわけではありません。

私達の文化はいま、新たな 「注意持続時間の短い子供達」 の世代を生み出しているのではないでしょうか。

MTVやビデオのソルト、マルチメディアのコンピュータプログラム、テレビゲームなど、やたらハイスピードな現代のメディアは、さらに桁違いに速いイメージや情報の連なりを子供達に浴びせかけています。

その結果、子供達の多くは、あっという間に過ぎ去る情報のかたまりを素早くつかみ取るための注意の戦略を進化させているようです。

テンポの早いメディア経験の豊富な子供の多くが、低速走行の日常を送る大人達から、ADHDと呼ばれるのではないでしょうか。

親や専門家たちには病気や障害だと考えられるものも、実際のところ、少なくとも一部の子供達には、異様に速い文化的テンポに対する正常かつ健全な反応なのかもしれません。

今のアメリカ社会はマスメディアに追い立てられた 「注意持続時間の短い社会」 です。

そのことが、親や先生の指示になかなか注意を向けられない子供達が現れる文化的背景になっているのではないでしょうか。

子育ての専門家ジョン・ローズモンドのコラムに、こんなことが書いてありました。

「アメリカの子供がテレビを見る時間と学習障害や注意欠陥障害の増加には、何か関係があるのではないか。」

この記事は大変な物議をかもし、小児神経科医や精神科医、精神分析医たちから、ADHDは遺伝的に受け継がれるものである、という反論もありましたが、私もどちらかというと、彼 (ジョン) と同意見です。

精神科医のマシュー・デューモントはこう書いています。

「テレビ番組の画面が始終切り替わることが、多動性症候群に関連しているのかもしれない。

カメラやフォーカスをたえず変えることで、視聴者の視点を数秒単位で移動させる。この手法がまさに文字通り、注意持続時間を規定するのだ。

多動児は知覚の方向をくるくる変化させることで、テレビ画面の激しい動きを再現しようとしているのだろう。」

テレビやゲームは、短い時間にパッパッと刺激の強い視覚・聴覚の情報を生み出すことで、人間本来の注意のメカニズムをひそかに損なっているということなのでしょうか。

しかし調査からわかったことですが、どうやら多動児とされる子供達は、テレビを見ながら同時に周囲で起きていることにも注意を向けられ、しかもどちらの刺激に対しても理解力が落ちないようなのです。

テレビやゲームは、大人が加わってうまくあんばいしてやれば、視覚空間認識や批判的思考など、多くの能力を伸ばすことにもつながります。

例えば、ストーリー展開や人物の性格描写、個々の場面が全体とどう関連しているかを理解する力が深まるのです。

私の考えは、テレビやゲームは、禁止するのでなく 「制限するほうがいい」 ということです。

テレビやゲームは子供と社会をつなぐものです。

他の子達がやっている遊びを奪うと、学校へ行ったり友達と集まって話をするときに、その子が困った立場になってしまうでしょう。

 

『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より

 

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パーデュー大学のシドニー・ゼントールによれば、生物はすべてそれぞれに決まった最適な刺激のレベルがあり、そのレベルを調節する恒常的な手段を持っている。

ADDの子供は、平均的な子供よりも環境からの刺激がたくさん必要で、その刺激が得られなければ、自ら刺激を(多動的な行動を通じて)作りだそうとするわけです。

向精神薬は、これまで、子供を興奮させるのではなく落ち着かせることで、逆の効果を生み出すものとされていました。

しかしゼントールの見方に従えば、向精神薬は、多動児に最適な興奮のレベルに達するために必要な活力をよぶんにプラスするものと考えられます。

ゼントールの研究結果でとくに興味深いのは、学習環境に適切な刺激があれば、こうした子供達の覚醒状態も最適化できるということです。

ゼントールは実際に、教室という環境でこうした子供達を落ち着かせるのにちょうどいい刺激のタイプを調べています。

その結果わかったのは、多動児達は、刺激の強い部屋にいるときのほうが動きが少ないということでした。

ゼントールの研究が示しているのは、多動児のための環境は、刺激的で真新しく、学ぶ気をかき立てる場所であるべきだということです。

こうした学びのスタイルを持つ子供達に必要な学校の環境は、刺激的な学習活動がたくさんあり、しかもそれが絶えず変わっていくというものでしょう。

ノースカロライナ州のアンダーウッド小学校では、 「海辺のエコロジー」 「創造的なドラマ」 「魔法の算数」 「私達のまわりの建築」 「水晶の玉(未来についての勉強)」 といった100の選択科目から子供達が好きなものを選べる。

オレゴン州のサウスメドフォード高校では、生徒がチャリティロックコンサートを開いたり、小説を書いたり、川遊び用ボートを造ったり、ダンスの振付けをしたり、テレビCMを作ったり、レーザービームを製作したりしています。

活動を基本にすえるこうしたプログラムでは、生徒はひとつのテーマを様々な角度から学ぶことができるでしょう。

例えば、退屈な歴史の教科書を読んで巻末の質問に答えるかわりに、その時間を使って工芸品のレプリカを作る、ある時代にとても詳しい地元の人にインタビューする、その時代に生きている自分を想像して日記をつける、当時の音楽を聴く、壁画を描く、ジオラマを作る、その時代を再現するお芝居をやる、といったことが可能です。

子供に与えられる刺激が最適なレベルに近づくほど、向精神薬によって人工的な刺激を作り出す必要は減る、というのは理にかなったことです。

こうした薬は主として、退屈で決まりきった繰り返しばかりの教室に、子供達を適応させるためのものではないでしょうか。

そして原因は一部の子供達の欠陥とやらではなく、多くの学校の悲しむべき状態にあるのです。

最適な刺激の理論は、すべての子供が本当の可能性に到達できる教育環境をどのように作り出すかという難問を、私達につきつけています。

 

『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より

 

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向精神薬の成分は、覚せい剤に近いもののようですね。

覚醒作用があるはずなのに、ADHDの子が飲むと鎮静するというのは、どういうことなんだろう?? とずっと腑に落ちなかったのですが、そういう理屈なんですね。

健常者が飲むと危険 (覚醒するため) と言われるのも、どうりでわかりますね。

足りない刺激を、薬で脳に直接与えることによって、落ち着かせるんだそう ( ^^;)

これは、根本的な治療とはだいぶかけ離れていますよね。。。

ADHDの子に足りない刺激を、現実的にはそれが難しいという理由で、薬で人工的に与えるわけですから。

 

でも、本当に難しいのでしょうか? ← 現実的に刺激を与えるということが。

その足りない分の刺激を、教育の場や家庭で 「与えよう!」 と試みたのでしょうか?

本人が落ち着くなら、ロックの音楽を聞きながら学習させてもいいし、ホワイトノイズの音をかけながら学習させてもいいし、立ち上がって動き回りながら学習させてたっていいのです。

家でも、ロッキングチェアやハンモック、ポーチのブランコなどがあれば、お子さんが動きながら同時に本を読んだり勉強したりする場所になるでしょう。

無理に健常者と同じように振る舞わせる理由が、どこにあるのでしょうか?

 

本では、実際に刺激を多くした環境において、多動児が落ち着いて学習や行動ができるようになった様子も紹介されています。

自分の作業スペースを、自分で選んだ色で覆わせることによって行動や集中力に良いほうの変化が現れることも、右脳思考の学習法という本を書いたバーバラ・マイスター・ヴィタールによって確かめられています。

文字も、ただ黒い文字だけで書かれている場合と比べ、色を使ったほうが注意が向けられることがわかっています。

環境だけでなく食事や運動でも多動は抑えることができるようで、その方法も本のなかで紹介されています。

 

全体をとおしての感想ですが、

私も、「ADHD=疾患」 という考え方には違和感を感じます。

風邪をひいたから風邪薬を飲むような感覚でADHDだからとすぐに薬を飲もうとするのは、どうかな?という感じです。

飲んだ場合のリスクも、よく勉強すべきだと思います。

この本を読み、やっぱり薬なんて本来は要らないんだよなーと、私は感じました。

 

話は変わりますが、

企業家のデビッド・ニールマン (ジェットブルー航空CEO)は、自身がADHDであることをCNN放送にて告白しました。

彼は、電子チケットシステムの「オープン・スカイズ」を立ち上げたり、カナダのLCCの代表格であるウエストジェット航空の立ち上げに参画したり、ジョン・オーウェンらと共にジェットブルーを設立したりしましたが、こうしたことを、 「ADHDの特性なしでは成し得なかった」 と語っており、自身がADHDを抑える薬物の飲用をかたくなに拒んでいることを明かしました。

 

全てのADHDの子ども達が、自分は自分のままでいいんだ☆と自分を肯定して生きていけるように、もっと自由に学べる時代に、変わっていったらいいなと思います。

 

 


子供に薬を飲ませることについて考える [ADHD] 人生の選択の自由

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発達障害 [ADHD・ADD]

ADHDについて。

ADHDの本を読んでいると、最後には必ず 「薬」 について出てきますねー ( ^^;)

私は、「親が子供にADHDの薬を飲ませる」 ことに、なんとも言えぬ違和感を感じます。(成人が自分の意志で飲むのであれば別ですが。)

誰にでも、自分の特性を活かして自分らしく生きる権利があるはず なんです。

子供が、「自分はADHDだから生きるのが辛い。」 とでも言ったのでしょうか?

だから子供の為に薬を飲ませることにしたのでしょうか?

本当に薬を飲んでどうにかしなければならないほどの深刻な辛さを抱えているのでしょうか?

まだほんの小さな子供が?

 

ADHDのその子を、特性の活かせる環境へ連れて行ってあげてください。

変化を好みチャレンジ精神も旺盛なADHDの子供が、目を輝かせてイキイキできる環境が、きっとあるはず。

「今いる環境に薬を飲ませてでも縛りつける」 以外に、 「特性を活かせる環境に連れていって開放してあげる」 という選択肢も、親にはあるのです。

 

その子自身の人生なんです。

親が、薬で簡単にその子の人生を修正していいはずがありません。

親は、その子がその子らしくイキイキと生きていけるように、できる限りの手助けをしてあげるべきなのではないでしょうか。

これは、あくまで私の考えですが。

 

成人して、自分のことを自分で決めることができるようになって、選択はそれからだと思うんです。

 

薬を飲んで健常者に合わせて生きる道を進むのか、
飲まずにADHDを持ったまま生きる道を進むのか。

 

それは、とっても大きな選択。 そして、本人が決めること。

 

薬を飲みながら、健常者と同じ土俵で戦い続けるのか?
土俵を変えて、あるいは自分で土俵を作って、自分らしく生きていくのか?

 

ADHDを持って生きるのはサバイバルで刺激的☆

1度しかない人生。 ADHDを持ったまま生きるのも、なかなか楽しいのではないでしょうか?

そもそもADHDを持って生まれてきたんですから。

持ったまま生きるほうが、自然なんです。

ADHDのひとの人生は親から見ればヒヤヒヤものでしょうが、でも、その子の人生なんです。

「無難=幸せ」 だなんて方程式はありません。

ADHDのせいでこの子は難ばかりでかわいそう。。。 だなんて親の心配、子供にとっては余計なお世話なんです。

 

私が懸念するのは、子供の頃から薬を飲んでしまうと、成人してから 「ADHDを持って生きる」 という選択が、もうできなくなるんじゃないか?ということ。

これは、「薬の耐性(肉体的依存)」 どうこう、とは別の理由 (精神的依存) で。

本人の選択の自由が、薬によって奪われてしまうのではないか?ということです。

当たり前ですが、ADHDは障害のひとつ。

ADHDを持っていると、非常に社会のなかで生きづらい。

それまで、薬による矯正で見通しのよい平坦な道を歩いてきたダレが、途中から薬をやめて、霧のかかったデコボコ道の方を選んでわざわざ進もうとするだろうか?

(ADHDの人の頭のなかは、よく 「霧がかかったようにモヤッとしている」 などと表現されます。また、退屈してしまうため、どーーーしても平坦な道を長く歩くことができません。

デコボコ道どころか、目の前に山があらわれると、衝動的に登って行ってしまうこともあります。健常者から見ると 「異様な道」 かもしれませんが、でも、薬を飲んだことのないADHDの人にとっては、これが 「普通の道」 なのです。)

 

 

頭の中に霧がかかる?「モヤっと」 の
イメージはこんなだったり...
花
 

 

 

こうしたデコボコ道を歩くには、経験とそれなりの装備が必要。

経験も装備も持ち合わせてなくて、進んでいけるわけがない。

子供の頃から自分の特性と向き合い、何かあったときの対処法を試行錯誤のなかで身につけ、まわりからの奇異の反応もすべて受け止め、たった1つでも 「これだけは負けない」 分野を作る、そうやって身に付けるものこそが、経験と装備。

ADHDの我が子を可哀想に思い、子供が 「傷つくこと」 「悩むこと」 をひたすら回避させようとして親が薬を飲ませてしまうと、子供には、こうした「必要な装備」が身につかなくなってしまう。

子供に薬を飲ませるということは、

 

薬を飲んで健常者に合わせて生きる道を進むのか、
飲まずにADHDを持ったまま生きる道を進むのか。

 

そんなその子の人生の大事な選択を、親がやってしまうということ。

子供が成人してからの選択の自由を、奪ってしまうということ。

だったら、

まだ選択する力のない子供のうちは薬を使わずADHDとして生きさせ、それなりの 「装備」 を身につけさせてあげるのが、産んだ親の責任なのではないでしょうか?

将来、ADHDを持って生きる道へも、自分で選択してまっすぐに進んでいけるように。

 

ADHDに薬による治療は必須ではありません。

昔は薬などなかったわけですし。

現代でも、ADHDの特性を活かして活躍している人は数多くいるわけですし。

 

それにしても、薬・薬… 本でもWebでも、最後には薬攻め…

「薬」 というのは元来、本人が楽になる為のものでしかないのですが、「ADHDの薬」 というのはこれと性質が異なります。

「ADHDの薬」 というのは、

「子供に飲ませると、その親までが楽になってしまう (下手すると、子供そっちのけで親のみが楽になってしまう) 」

という、特異なものなのです。

加えて、学校の先生や障害の相談員も、「これにて一件落着」。 悩みの種が消えて楽になってしまう。

つまり、本人に薬を飲ませることによって、本人を取りまく周りの人達が、揃って楽になってしまうのです。

なんて便利な薬。

それなのに、そういう 「ADHDの薬」 の持つ特異性には触れもせず、「お子さんの為に飲ませましょう。」と言い切る。

すごい違和感!

 

薬を迷っている親たちの心を、ワシづかみにする常套文句があります。それは、

 

「薬でADHDのお子さんの自己肯定感を強め、自信をもてるようにしてあげましょう」

 

という言葉。

私は、こんな言葉で 、よく 「ADHDの乱」 がおきないなと思ってしまう…

だって 「自己肯定感」 て、そんなものじゃないでしょう??

自己肯定感というのは、「自分が自分らしく生きて、それで得た幸せでしか満たされない」のではないでしょうか?

 

「薬でADHDのお子さんの自己肯定感を強め、自信をもてるようにしてあげましょう」

 

こんな馬鹿げた説得、私は 「ない!」 と思います。

薬で猫をかぶせて、「集中して最後まで授業を聞けたね!」 「落ち着いて椅子に座ってご飯を食べられたね!」

そんな風に 「猫」 の部分だけを褒められたって、自己肯定感なんて微塵も満たされないですよ。

 

薬を飲むことで本人が 「生きやすくなる」 というのはあるかもしれませんが、それは自己肯定感とは別の話。

薬は、「薬を飲まないことへの恐れ (素の自分が出てしまう、また元の自分に戻ってしまう、という)」を強める可能性、

自己肯定感なんてメチャクチャにしてしまう可能性すらあると思います。

素の自分を押し殺した結果が、褒められるのですから。

褒められているのは 「自分ではない部分」 であり、自分は自分のままではダメなわけです。

薬によって本人に突きつけられるのは、 素の自分への絶望でしかないのではないでしょうか…

「それを上回る生きやすさ」 をどう捉えるかは人それぞれでしょうが、この 「それを上回る生きやすさ」 の捉え方こそが、成人してからの

 

薬を飲んで健常者に合わせて生きる道を進むのか、
飲まずにADHDを持ったまま生きる道を進むのか。

 

という判断へとつながっていくのではないかと私は思います。

 

「おおかみこどもの雨と雪」という映画、数年前にこの映画を見たとき、私はADHDについて知らなかったのですが、今になってADHDの子供たちの人生の選択の自由を考えたときに、私はこの映画を思い出しました。

オオカミに変身してしまう性質を持って生まれてきた雨と雪という名の姉と弟、そのお母さんのお話です。

(オオカミにならないように飲ませる薬はないので)お母さんは環境を与え、あとは子供たちを見守ることしかできませんでした。

お母さんの苦労は、相当なものでした。

雨と雪は、大人になってから、それぞれが人生の大きな選択をしました。

この映画から伝わってきたのは、お母さんの深い愛情でした。

数年前にこの映画を見たとき、私は母親に感情移入して涙をポロポロ流しました。

ADHDとは関係のない映画なんですが、重なるものがあり、後になってから改めて「いい映画だったなー」と思い出しました。

興味のある方は見てみてください。 歌もすごくいいんですよー(^^)

 

 

 

 

 

薬を飲むことで健常者のように生きることができるようになった 「ある人」 が、今の自分が本当の自分なのか?いや、薬を飲む前の自分が本当の自分だったのか?悩むようになったというのを、本で読んだことがあります。

そのひとは、薬によって 「自分」 の在り処を奪われたのです。

「自分」 の在り処を奪われるだなんて、私だったら、「本当に怖い」 と思う…

まして親によって勝手にそうされたのだとしたら、私だったら絶対に恨みます(。`ω´。)プンスカプン!

 

短所と長所は表裏一体。

ADHDの短所だけ直そう、だなんて都合のいい話。 失うものもあるかもしれないのに。

「もしかしたら、子供の頃に、薬によって失ったものがあったかもしれない」 だなんて、想像するだけでも私だったら辛い。「返してくれ!」 と叫びたい。

 

まあ、私みたいなひとばかりではないとは思いますが (逆に、親に感謝する人もいるかもしれませんし)、でも、薬の使用については、慎重によく考えてから決めたほうが良いのではないかなーとは思います。

もちろん、心のみならず身体への副作用も、よく調べて。

薬は、少なくとも 「当たり前の手段」 ではないと思います。

最終手段… かな?

 

生きやすさ以上に 「自分」 にこだわる内向的なタイプの人は、少なくないと思います。

逆に、外向的なタイプの人であれば、あまり細かいことにはこだわらないのかもしれません。

(「生きやすくなるのならそれでいい」 といった感じかもしれません。)

 

私は、ADHDで会社を経営している人を何人も知っています。

ADHDで綺麗な絵を描いたりデザインをできる人も知っています。

薬で矯正するのではなく、特性を活かせる環境に連れていって開放してあげるという選択肢も、ぜひお子さんの為に考えてみてください。

 

 

 


本のご紹介 『なぜADHDのある人が成功するのか』 トム・ハートマン 著

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発達障害 [ADHD・ADD]

トム・ハートマン 著 の、 『なぜADHDのある人が成功するのか』 という本を読んでみました。

 

 

 

 

 

 

 

ADHD関連の多くの本は、 「忘れ物を減らすための工夫」「上手に片付けをする方法」「薬物療法」 など、 いかに失敗を減らすか、どうやって短所をカバーするかということばかりに重点が置かれて書かれています。取り上げられるのは 「短所」 ばかり。

なかなか、「長所」 を活かして成功するための指南書というのは無いものですが、この 『なぜADHDのある人が成功するのか』 という本は、まさにそれだと思います。

 

「短所」 をカバーする努力も必要かもしれませんが、「長所」 の活かし方を知ることも、同じように必要なのではないでしょうか?

そうでなければ、ADHDの人達には、イキイキと生きていく道が無いですよね?

コソコソと短所を隠すことばかりに生涯を費やして、それがベストな道だとは思えません。

 

私は最初、このインパクトの強いタイトル 「なぜADHDのある人が成功するのか」 にやや抵抗感を持ちました。[これは著者のサクセスストーリーなのか? なぜそんなに上から目線なのだ?] と(笑)。

でも、この本のサブタイトルは、「自分らしいビジネスライフを送るために」というやさしい感じのもの。

この本を、一読した後の感じでは、私としては、中の内容は、サブタイトルの方がしっくりくるな、という印象でした。

英語を日本語に直したタイトルなので、もしかすると、ちょっとニュアンスも違うのかもしれませんね。

因みに、英語では 「ADHD Secrets of Success」 となっています。

 

著者の事業家・企業家としての成功と失敗や、ADHDの人が成功する為に知っておいた方がいいこと がいっぱい詰まっている本。

そんな風に感じました☆

大人のADHDの人は、是非、読んでみてください。少し、内容を抜粋してご紹介させていただきます。

 

 

 


 

・ 先史時代と呼ばれる頃、地球上のすべての人類は、狩猟社会に属していた。1万年前に農業革命が起き、家畜を飼い、作物を植え、定住し、農耕社会を作る人々がいくつかの大陸に出現した。

牧畜と農業は、狩猟より効率が良いので、地球の人口は爆発的に増え、新しい文化をもたらした。

農耕以前の狩猟社会は、その後の農耕社会や現代文化とはまったく異なる、独自の生活形態を備えていた。

異なる文化規範を持ち、そこで生き残るにはまるで別のパーソナリティーが必要とされ、その生活様式は現在でも2万年前われわれの先祖が生きたように生きている土着の先住民にみることができる。

人類学的観点もしくは歴史的観点からみると、狩猟社会におけるサバイバル技術は、今日のADHDを診断する基準と同じである。

(狩りを成功させるには、すぐに注意を散らし、絶えず周りに目を配らなければならない。同時に多くの作業をこなし、複数の獲物を追いかけられなくてはならない。危険を冒すことを恐れてはならない。

ある動物を追いかけ始めてから別のチャンスに巡りあったら、すぐさまコースを変更して新しい獲物を追うよう決断できなくてはならない。

破滅が迫っているような感覚があると、捕食者の存在の可能性を常に意識し、警戒することが出来る。狩りの間はアドレナリンの高揚感で生き生きとするが、住居の掃除などの退屈な仕事はぐずぐずと先延ばしにする。時間感覚は非常に速いか非常に遅いかのどちらかで、その瞬間の人生で興奮したり退屈したりする。)

 

・ ダーウィンの説とも符合するように、ハンターの特性は世代から世代へと受け継がれるというデータが出ており、それによって狩猟社会は確実に存続していくことができた。

一部のケースでは、ADHDの原因と研究者が考える、もしくは行動特性に影響を与えていると思われる遺伝子も発見されている。

アルコールや薬物依存との関連において発見された多型なドーパミンD4レセプターがそれで、世代から世代へと受け継がれている。

 

・ 狩猟社会が農耕社会と衝突すると、生き残るハンターは1割以下になる。

農業は狩猟より効率がよく、農耕なら狩猟の約10倍の人数を養えるので、農耕社会の人口密度は狩猟社会の約10倍になる。戦いでは、大人数が常に優位である。

家畜の疫病(水痘・ インフルエンザ・ 風疹など)により、ハンターは免疫を持たない為、多くが死に至った。

常にこれらの疫病にさらされるファーマーは免疫を持っている為、病にかかりはしても死に至らなかった。

また、ファーマーは、道具・ 武器を製作したり、政府・ 軍隊・ 王国を作り出し、ハンターと技術面で大きな差をつけた。

ヨーロッパ・ アジア・ アフリカ・ アメリカでも、ハンターは絶滅させられた。

生き残ったものは農耕社会に組み込まれ、欧米社会の人口の5~20%であるADHDの遺伝子保持者の先祖となった。

 

・ カリフォルニア大学とイェール大学で行われた研究により発表された論文によると、ADHDに関連する、新奇さと刺激を求める遺伝子の研究をたどり、それがヒトゲノムに大々的にはいってきたのはほぼ4万年前だと突き止めた。(2002年論文)

その遺伝子は、それを備えた者を、より優れたハンターにする。

また、人類が発祥の地(アフリカ)から他の場所に移動して地球全体に広がっていったのは、この遺伝子のおかげであるとも研究者は推測する。

 

・ ハンターであることには、確かにマイナス面がある。

刑務所にいる人間の大部分にはADHDがあると指摘する専門家もいる。

忘れっぽさ・ 乱雑・ 衝動性・ 飽きっぽさ はみな、建設的にもなれば破壊的にもなる。

ナイフが彫刻や創造活動の道具にもなれば、死をもたらす道具にもなるように、ハンターであることは、その人の人生とキャリアを形作りもし、打ち壊しもする。

そこで、ハンターであることを財産に変えるには、自分を知ることが最初の重要なステップとなる。

 

・ ADHDであるハンターが、新しい方向へ進み始めようとすると、いくつかの難題に直面する。

注意散漫・ 切迫感・ 衝動性・ 追い立てられるような感じ・ 危険が迫っているという感覚などだ。

しかしこれらは、何百年にもわたって、企業家やビジネス・ 芸術・ 政界で成功した人々が自分の気持ちをかき立て、偉業を成し遂げるために利用してきたファクターでもある。

 

・ 大方の研究者の一致した見解では、ADHDには脳の化学作用もしくは活動の何らかの変異がかかわっているという。刺激への反応、衝動の制御能力、時間の感覚などをコントロールする脳の部位が、ADHDのない人とは大きく違っているらしい。

脳の化学作用に変化をもたらす方法はいろいろあって、その多くはADHDの影響を抑えることができる。

例えば、運動。 脳の化学作用を変えるもっとも簡単で早い方法は、薬物の服用。

欧米では、ハンターは、大量のカフェイン(コーヒーなど)を摂取したり、アルコール依存やスピード・ マリファナなど違法薬物の中毒に成ったりすることが少なくない。

これらの薬物を使用するのは、自分で薬物療法を試みているわけだが、どれもADHDの影響をやわらげるのに大きな効果があるとはいえない。

ADHD治療としての薬物療法について。

リタリンやデキセドリンは、正規の薬物療法で、より危険もしくは違法な薬物の使用をこらえられない人にとって、命を救っているとさえいえよう。

しかし、これらの薬物療法の長期使用の影響はほとんどわかっていない。

 

・ セールスは、会社組織内でハンターが従事する割合が高いもっとも一般的な職種だろう。

ハンターはセールスにひきつけられるようだ。

セールスでは常に何か新しいことが起こり、チャレンジとリスクの両方が大きい。

内面のモチベーションが必要で、出かけて行き、動きまわらなくてはならない。

セールスをする人は自分で時間をかなりコントロールすることができるが、まさしくこれは狩りである!

 

・ 多くの会社は、商品もしくはサービスを売るのに、ハンターとファーマーのチームが大変有効であることに気づき始めている。

 

・ 桁外れに多くのADHDのある人が、非常に高い創造性を備えている。

創造性とADHDの関連についての研究はないが、創造力の高い人々の特性を研究している専門家は、その特性を述べながら実はADHDのある典型的な人の特性を述べているようだ。

ハロウェル博士もその経験から、創造性はADHDの特性の共通した面だと指摘する。

「衝動性がうまく働くと創造性になる」とまで言う。

 

・ ADHDは、あるかないかどちらかという診断が下るものではない。

程度が連続線状に連なり、カテゴリーもいくつかある。

多動なハンターもいれば、受動的もしくは夢想にふけっているかにみえる不活発なハンターもいる。

 

・ Archives of General Psychiatry に、子供の頃ADHDと診断された91名の男性の生き方を調査した記事が載っている。それを対照群である95名の正常な男性の成人後の人生の失敗・ 成功と比べるものだ。

その記事は、メディアにADHDの「悪いニュース」として紹介されたが(アルコール中毒・ 薬物常用者・ 落第・ 低収入などがより多い)、執筆者が指摘したけれど大きくはとりあげられなかったポイントがある。

そのひとつが企業家のパーセンテージで、対照群では企業家は5%だが、ADHD群では20%が自分の会社を持っている。

 

・ 充実期に入った企業のニーズは、創立者であるハンターの能力とはまったく相いれないものだ。

創立者でありボスであるハンターは、自分がぶらぶらし、ひとの仕事に鼻を突っ込み、ただ刺激のために新しいプロジェクトを始めてはリスクを冒していることに気がつく。

うまくいくとわかっている業務から方向をずらし、貴重な資金を回したりする。

このようにして多くの企業家は、会社がファーマー向けの初期の成熟期に達したときにハンターであり続けようとして、自分のビジネスを台なしにしてしまう。

ではどうやったらその罠に落ちるのを避けられるか。

スタートの初日から、フランチャイズを売るつもりでスタートするのだ。

ハンターは、時がきたら場を明け渡すことを覚えなくてはならない。

 

・ ハンターの最も一般的特性は、創造性が高いということだ。

変幻自在の角度から世界を見つめ、問題解決にあたって垂直思考ではなく水平思考をする。

これは天性の強みで、自分の心のなかと世の中の茂みをあさって、新しいアイディア、発明、ビジネスを探させる。

 

・ ハンターの衝動性とすぐに熱中できる傾向は、集中する対象が散らばるという不都合な面もあるので、アイデアが思い浮かんだらまずは書き留めて、少なくとも1~3日は実行に移さないというテクニックが非常に有効である。

ものごとを遅らせる性癖はADHDの特性とされるが、これはファーマー向けの用事に対するときだ。

むしろハンターは、ものごとに飛びつくという天性の傾向と衝動性によりものごとを性急に進めようとする性癖を持つことが多い。

 

・ ハンターは、いまの仕事をやめて次に移ろうとする衝動が強い。

少なくとも最初の数回は衝動任せになるようだ。

話をしたADHDのある成人の中には何度も仕事を変わったひとがいて、その後、衝動は意図的に抑えればすぐに消えることに気づいたという。

もう一日、もう一日と仕事を続けていけば、やがて続けるほうが変わるよりも快適である段階に達するという。

 

・ 物忘れを改める第一ステップは、まず注意を払うことだ。

これは百の方向に心が向くハンターには特に難題である。車の鍵はトワイライトゾーンの住民に飲み込まれるようだ。クシやブラシは、驚くべき正確さで掻き消える。

財布や小銭入れをしょっちゅう置き忘れるのは、とりわけうんざりすることだ。

解決策は、原点の認識という概念にある。

車の鍵を置いた時は、置き場のキッチンカウンターを一瞬眺め、鍵がそこにあることを心に留める。

ものごとを思い出せないのは、たいてい最初に注意を払わなかった時だ。

これは、当たり前のように聞こえるかもしれないが、有効なテクニックだ。

 

・ ADHDの特徴のひとつに、聴覚処理の問題がある。

ハンターは視覚によって考える傾向があり、言語記憶に問題があることが多いが、これはビジネスに非常に大きな障害となる。

言語に根ざす事柄なら、こちらの部屋から別の部屋へ行っただけで忘れてしまう。

ビジネスの会議中に「議題を覚えている」のさえ難しいこともある。

これを裏返せば、ハンターは視覚処理が得意ということだ。したがって、覚えていたい概念や物の絵を頭のなかで描くという単純なテクニックが使える。

 

・ 私が話したハンタービジネスマンの多くは、かなりの甘党だ。これはハンターが狩りの最中に短時間で大量のエネルギーを摂取する必要があることと関係するのでは、と推理する。

また、おそらくすぐに退屈することに関係するのだろうが、多くのハンターは過度のアルコール好きである。

また、忙しいハンタービジネスマンは、たいていジャンクフードで食事を済ます。

子供時代にADHDと診断された成人の数の調査が最近行われた。この調査対象はそもそもの選抜基準が偏っており、結果はそれを考慮して検討するべきだが、ADHDのない成人に比べ短命であるという結果が出ている。

 

・ 食事と運動のふたつは、ハンターの心と身体に必須である。

毎日の運動は心的機能を高めることが明らかになっており、ADHDの症状を軽減さえするという。

 

・ ハンターはほとんど必ず、組織化(ビジネスの具体的プランを練って、その目標をどうやって達成しようとするのか。期限はあるか。そこまでの各ステップはどのようなものか。)が苦手という問題を持っている。

おそらく、視覚により導かれているので、あらゆることを一度に認識するからかもしれないし、別の理由があるのかもしれない。理由はどうあれ問題であることには変わりない。

しかし、組織化戦略は、習うことができる。私が見つけた最良の方法は、毎日「やること」リストを紙に書くことだ。A・ Bと記した2つの箱を用意し、空の引き出しにCと記したラベルを貼る。

リストにあるすべて、オフィスにはいってくるあらゆる書類は毎日、A・ B・ Cのいずれかの優先順位をつける。

Aはすぐに処理、BはAが終わったら処理、Cは何であれ、置いておいてもよい案件。

私が話をしたハンターのビジネスマン、ライター、その他のプロの多くは、この方法を採用していた。

広めたのはアラン・ ラケイン。

 

・ 会社の企業段階が過ぎたら、少なくともいくつかの特定の領域でファーマーをマネージャーにするのが懸命な選択だ。例えば、予算と収支に関する権限を与えておけば、あなたが新しい方向に関心を向けようとするときはうまく論戦を張らなくてはならず、それでも経理責任者が反対票を投じるという自体が起こりうる。

権限を与えられたファーマーは、競争力のある安定した事業に作り上げるのに手を貸してくれる。

 

・ 会社でのハンターとしてのあなたの役目は、周囲に常に警戒を怠らないことだ。競争相手をチェックする。新しいやり方を探す。国内を旅して、競争する必要のない同業者との間にネットワークを作り、アイディアやテクニックを交換しあう。トレードショーにいき、セミナーに出席する。新しいアイディアを覚えて会社に持ち帰る。

 

・ ADHDの精神医学的診断基準のひとつに、たくさんのプロジェクトに着手するのに終わらせられないという項目がある。原因は、手を出しすぎた結果であることが多い。

ほとんどのハンターがやり遂げられるのは、自分ができると思っている量の半分だろう。

 

・ きちんとトレーニングを行うよう、自分に強要しよう。任せようと思っている仕事をきちんとできるように教えるのに費やす時間は、この先その仕事から開放されて得られる数百時間となって戻ってくる。

生活の知恵に秀でているビジネスマンはこの算数を知っていて、たとえイライラしても、難しくても、仕事をきちんと教えるよう自分に強要する。

 

・ ADHDは遺伝的要因があるので、ハンターが子供を持ったら、そのなかの誰かはハンターである可能性が高い。子育ては元来むずかしいものだが、それにさらに難題が加わることになる。

本書で論じたハンターとして成功するための原則は、家庭と子供と、そして学校にも適用できる。

 


 

 

 

またいつもの癖で、結構書いてしまいましたけれど( ^^;)
詳細は、本でどうぞ~。

 

 

 

 

 

 

 



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