ADHDについて。
『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 という本を読みました。
トーマス・アームストロング 著
アメリカでロングセラーの決定版☆
ADHD関連本は何冊も読んでいます (7冊くらい) が、この本を読んでみて、自分はADHDについてこれまで理解が足りなかったな… この本と出会えてよかったな、という気持ちになりました。
本屋さんや図書館にあるADHD関連本のほとんどは、ADHDを医学的疾患と捉えて書かれています。
疾患なので、本の中では 「薬を用いて治す」 ことが勧められています。
これは、問題のありかを本人のなかに求めようとする捉え方です。
しかし、ADHDを医学的疾患と捉えることに異を唱えるひとの本も、読んでみると面白いかと思います。
この本の著者であるトーマス・アームストロングは、本の中でこのように述べています。
ADHD的な行動を引き起こす原因は、複雑で多面的です。
文化的・社会的な原因もあれば、その子特有の理由もある。
たとえ生物学的な論点が一番大事だと思える場合でも、生物学的傾向と文化的、社会的、教育的、あるいは心理学的要因がからみ合ってはじめてADHDの徴候が生み出される。
問題は、本人の中にあるのか? 文化や社会にあるのか?
ネガティブな捉え方、ポジティブな捉え方。
いろんな捉え方を知ったうえで、ADHDについて、自分の頭のなかで整理してみるといいかもしれません。
本の内容を一部抜粋してご紹介します。
(短くするため、若干、文章を丸めてあります。 ぜひ、本でも読んでみてください。)
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私は特殊教育のクラスを5年間教えましたが、みんな素晴らしい子供達ばかりでした。
そうした子供達を相手にするうちに、わかってきたことがあります。
誰でもちゃんと学べるということ、ただしそれぞれに学び方が違っているということです。
その後、多重知性の理論を知ったことで、子供達ひとりひとりの「学びのスタイル」が説明できるようになったのです。
ハーバードのハワード・ガードナー教授が書いた本によると、知能には少なくとも7つの種類がある。
① 言語的知能
② 論理数学的知能
③ 空間的知能
④ 身体運動的知能
⑤ 音楽的知能
⑥ 対人的知能
⑦ 内省的知能
どんな子供でもこの7つの分野の能力すべてを持っています。
ただし、それぞれの能力をどんな形で発揮するかは、子供によってまちまちだということです。
ガードナーによれば、まだ幼いうちから、子供はこうした知能のどれか1つか2つに強い傾向を示し始めます。
ところが学校に行きますと、2つのタイプの知能 (言語知能と論理数学的知能) が重視されがちになります。
けれどもその分野に難のある子は、他の5つの知能が優れていたとしても、ADHDかLDのレッテルを貼られかねません。
私自身が調べたところ、学校で問題のある子供達は、身体運動的知能 (身体を動かして学ぶ) や空間的知能 (視覚的にものを考える) の高さを示すことが大変多いとわかりました。
こうしたADHDのレッテルの問題を解決するには、ガードナーのモデルにある7つの知能すべてを伸ばせるような授業をすることです。
音楽、空間、対人の知能の高い生徒たちが教室で自分の強みを発揮できる機会が増えれば、そうした知能を不適切なかたちで 「行動に表す」 必要がなくなるのです。
つまり、机を叩いてリズムをとったり、小声で歌ったり、隠れてipodを聴いたり、頭のなかに流れる曲に合わせて身体を動かしたり、空想にふけったり、いたずら描きをしたり、勝手にまわりの子とおしゃべりをしたり、手紙をまわして秩序を乱す、といった行動が減るということです。
『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より
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ADDの子達は、手を動かして何かすることを好みます。
スタンフォード大学のロバート・マッキムはこう書いています。
「彫刻家は粘土に触れることで思考する。科学者は三次元の分子モデルを扱うことで思考し、デザイナーはボール紙の模型を組み立てたり並べ替えたりすることで思考する。
材料を見て、触り、動かすこと。つまり自分の内面的なプロセスを対象物に外面化することで、思考しているのだ。
芸術やデザインのみならず、科学や工学の分野でも、現代の第一人者の多くは、思考という古びた精神活動の生産性を尊重している。」
私は何年も、いわゆるADHD児の親や先生と連絡をとり合ってきましたが、こうした子供達の多くは、明らかに触覚型、つまり、手を使って学習するタイプのように思えます。
「ADHDの子供達」が、手を使った活動を強く求めていることはあきらかです。
まわりの迷惑にならないようにしながら、その欲求を満たしてあげましょう。
例として、レゴブロック・ティンカートイ・積み木・ビーズ・折り紙・粘土・トランプ・ジオボード・タングラム・数字ブロック・科学の実験・ジオラマや模型・手工品を作って小説の筋や歴史上の年代を表現・ポップアップ絵本・こすると匂いの出る本・ページを切り離して別の順に並べ替える本・フィンガーペイント など。
『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より
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あるADD関連の会議に出たときのことです。
ある展示の場所で、コンピュータ画面の前に座った私は、技術者の手で頭に電極をとりつけられました。
画面には白い箱が1つあり、その中に小さな緑の箱が1つ入っていました。
そして、白い箱の両側にも、小さな緑の箱が1つずつ。
座って眺めているうちに、白い箱のなかの緑の箱の大きさが変化していることに気づきました。
「中央の緑の箱が白い箱に触れるようにしてください。そして、両側にある2つの箱は、白い箱に触れないように。」 と技術者が言いました。
頭のなかでやるビデオゲームみたいなものです。
操作用のジョイスティックやマウスは無し。
このとき私が体験していたのは、バイオフィードバックの一例でした。
ADDのレッテルを貼られた子供のための、有望な薬に頼らない治療法で、主な目的は、脳波を変化させることです。
ADDのレッテルを貼られる子供は、シータ波が出ていることが多く、ベータ波が少ないとされています。
バイオフィードバックは、こうした子達のシータ波を減らし、ベータ波を増やすことで、注意力や集中力を高めようとする試みなのです。
ただしこの分野の第一人者で、テネシー大学のジョエル・ルバーは、こう釘を刺しています。
「シータ波が悪いものでベータ波がいいものだという印象は持ってほしくありません。
ずっと以前から、シータ波は、創造性や視覚イメージと結びついていることがわかっていました。
ベータ波のほうは、閉じられた焦点、固定された焦点、異質な刺激の多くを排除する徹底した集中、などと関連づけられます。」
バイオフィードバックは、子供にはとても魅力的なものです。
テレビゲームのようだし、鮮やかな色や音がついている。
すぐにフィードバックがあり、上手くできれば褒美がもらえる。
効果のほどについては、科学的な研究が現在行われているところですが、予備調査の結果を見る限り、薬に頼らない方法を探している親御さんにとっては注目に価する選択肢と言えるでしょう。
『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より
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まだ幼い子供の頃は、人間が一生のあいだで最も貪欲に学習する時期です。
何か面白そうなものに注意を惹かれるまま、偶発的に知識を吸収することで、歩く、話すといった複雑な事柄をマスターしていくのです。
数百万年の進化によって、人間の幼児は、自然な探究心や好奇心、変わったものや真新しいものへの欲求などを本能的に持つようになりました。
だから人間のなかには新たな可能性を探す力が常に備わっている。
これは、外部の状況が変化し適応が必要になった時には、たしかに有効な財産と言えます。
ADDとされる一部の子供達は、かなり年をとっても、こうした外界に適応して偶発的学習を行う特別な能力を持ち続けているのかもしれません。
でも残念ながら、たいていの教室は、 「意図的な」 学習を基盤にしています。
しかし、私達が生まれてから学ぶ事柄のうち、おそらく98%は、偶発的学習によるものなのです。
親や先生は、ADD児にものを教えるための方策を考えるにあたって、この偶発的学習の能力を活かす必要があります。
ここ20年ほどのことですが、偶発的学習によって早く、より簡単に学ぶという教育の一分野が生まれてきました。
スーパーラーニング、暗示学習法、加速学習法 など様々な呼び名がありますが、この新しい学習法は、知識が偶発的に楽しく吸収されるような環境を作り出し、幼児が周囲の環境から自然に学習するときの条件を再現しようとするものです。
『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より
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ここ数年、数えきれないほどの親御さんから、行動や学習に問題のある子供が公立学校のプログラムで苦労しているというお話が届いています。
ほとんどの場合、お子さんは、暗いシナリオから学校生活が終わるまで逃れられません。
でも、私立の新方式学校に行かせるか、家庭でのホームスクーリングを行うという方法もあります。
私立学校の校長先生のお便りに、こういうものがありました。
「ADDのレッテルを貼られた子供が入学してくることもありますが、わが校ではこうしたレッテルはあまり意味を持ちません。 そうした子供が問題になることもありません。
私どものプログラムは全て、子供主導の活動のみにもとづいたもので、子供達は大人の干渉を受けずに自分の時間とやる事をコントロールしています。
実を言いますと、これまで深刻な問題を起こしたことがあるのは、リタリンなどの向精神薬を長く飲まされていた子供達だけです。
そうした子達は悲しいことに、自分が厳しく統制されないような環境に置かれると、途方に暮れてしまうことが多いのです。」
『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より
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ADHDは、ある意味ではこの社会全体が作り出したものかもしれません。
子供達のADHD的な行動は、これまでの価値観が崩壊していることの反映ではないかということです。
ハーバード大学教授のグリンプソンとシンガーは、20年も前にこう述べています。
「多動は、社会的な問題として扱うのではなく、ただ身体的な病気として片付けられる、都合の良いレッテルになってしまっている」
そして、教師の権威の崩壊と共に家族の崩壊についても述べています。
なかなか子供のそばについていられず、子供の情緒面での発達に欠かせない指導やサポートをしてやれない親が多くなっているとのこと。
『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より
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アントワネット・ソーンダースとボニー・レムズバーグは、著書のなかでこう指摘しています。
「ストレスのかかっている子供がとりわけよく示す徴候は、落ち着きや集中力の欠如、イライラした行動。」
要するに、注意欠陥障害と同じ行動ということになります。
研究者たちはこう記しています。
「小児期のうつは、学校での多動性という問題の根底にある主要な障害なのかもしれない。」
だとすれば、多動性や散漫性のある子供達の多くは、実はADHDではなく、家族や学校その他の問題のせいで不安になったりうつになったりしているだけかもしれないのです。
ただし、ADHDとされる子供全てが、ストレス関連の不安やうつのために多動になったり注意散漫になったりするわけではありません。
私達の文化はいま、新たな 「注意持続時間の短い子供達」 の世代を生み出しているのではないでしょうか。
MTVやビデオのソルト、マルチメディアのコンピュータプログラム、テレビゲームなど、やたらハイスピードな現代のメディアは、さらに桁違いに速いイメージや情報の連なりを子供達に浴びせかけています。
その結果、子供達の多くは、あっという間に過ぎ去る情報のかたまりを素早くつかみ取るための注意の戦略を進化させているようです。
テンポの早いメディア経験の豊富な子供の多くが、低速走行の日常を送る大人達から、ADHDと呼ばれるのではないでしょうか。
親や専門家たちには病気や障害だと考えられるものも、実際のところ、少なくとも一部の子供達には、異様に速い文化的テンポに対する正常かつ健全な反応なのかもしれません。
今のアメリカ社会はマスメディアに追い立てられた 「注意持続時間の短い社会」 です。
そのことが、親や先生の指示になかなか注意を向けられない子供達が現れる文化的背景になっているのではないでしょうか。
子育ての専門家ジョン・ローズモンドのコラムに、こんなことが書いてありました。
「アメリカの子供がテレビを見る時間と学習障害や注意欠陥障害の増加には、何か関係があるのではないか。」
この記事は大変な物議をかもし、小児神経科医や精神科医、精神分析医たちから、ADHDは遺伝的に受け継がれるものである、という反論もありましたが、私もどちらかというと、彼 (ジョン) と同意見です。
精神科医のマシュー・デューモントはこう書いています。
「テレビ番組の画面が始終切り替わることが、多動性症候群に関連しているのかもしれない。
カメラやフォーカスをたえず変えることで、視聴者の視点を数秒単位で移動させる。この手法がまさに文字通り、注意持続時間を規定するのだ。
多動児は知覚の方向をくるくる変化させることで、テレビ画面の激しい動きを再現しようとしているのだろう。」
テレビやゲームは、短い時間にパッパッと刺激の強い視覚・聴覚の情報を生み出すことで、人間本来の注意のメカニズムをひそかに損なっているということなのでしょうか。
しかし調査からわかったことですが、どうやら多動児とされる子供達は、テレビを見ながら同時に周囲で起きていることにも注意を向けられ、しかもどちらの刺激に対しても理解力が落ちないようなのです。
テレビやゲームは、大人が加わってうまくあんばいしてやれば、視覚空間認識や批判的思考など、多くの能力を伸ばすことにもつながります。
例えば、ストーリー展開や人物の性格描写、個々の場面が全体とどう関連しているかを理解する力が深まるのです。
私の考えは、テレビやゲームは、禁止するのでなく 「制限するほうがいい」 ということです。
テレビやゲームは子供と社会をつなぐものです。
他の子達がやっている遊びを奪うと、学校へ行ったり友達と集まって話をするときに、その子が困った立場になってしまうでしょう。
『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より
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パーデュー大学のシドニー・ゼントールによれば、生物はすべてそれぞれに決まった最適な刺激のレベルがあり、そのレベルを調節する恒常的な手段を持っている。
ADDの子供は、平均的な子供よりも環境からの刺激がたくさん必要で、その刺激が得られなければ、自ら刺激を(多動的な行動を通じて)作りだそうとするわけです。
向精神薬は、これまで、子供を興奮させるのではなく落ち着かせることで、逆の効果を生み出すものとされていました。
しかしゼントールの見方に従えば、向精神薬は、多動児に最適な興奮のレベルに達するために必要な活力をよぶんにプラスするものと考えられます。
ゼントールの研究結果でとくに興味深いのは、学習環境に適切な刺激があれば、こうした子供達の覚醒状態も最適化できるということです。
ゼントールは実際に、教室という環境でこうした子供達を落ち着かせるのにちょうどいい刺激のタイプを調べています。
その結果わかったのは、多動児達は、刺激の強い部屋にいるときのほうが動きが少ないということでした。
ゼントールの研究が示しているのは、多動児のための環境は、刺激的で真新しく、学ぶ気をかき立てる場所であるべきだということです。
こうした学びのスタイルを持つ子供達に必要な学校の環境は、刺激的な学習活動がたくさんあり、しかもそれが絶えず変わっていくというものでしょう。
ノースカロライナ州のアンダーウッド小学校では、 「海辺のエコロジー」 「創造的なドラマ」 「魔法の算数」 「私達のまわりの建築」 「水晶の玉(未来についての勉強)」 といった100の選択科目から子供達が好きなものを選べる。
オレゴン州のサウスメドフォード高校では、生徒がチャリティロックコンサートを開いたり、小説を書いたり、川遊び用ボートを造ったり、ダンスの振付けをしたり、テレビCMを作ったり、レーザービームを製作したりしています。
活動を基本にすえるこうしたプログラムでは、生徒はひとつのテーマを様々な角度から学ぶことができるでしょう。
例えば、退屈な歴史の教科書を読んで巻末の質問に答えるかわりに、その時間を使って工芸品のレプリカを作る、ある時代にとても詳しい地元の人にインタビューする、その時代に生きている自分を想像して日記をつける、当時の音楽を聴く、壁画を描く、ジオラマを作る、その時代を再現するお芝居をやる、といったことが可能です。
子供に与えられる刺激が最適なレベルに近づくほど、向精神薬によって人工的な刺激を作り出す必要は減る、というのは理にかなったことです。
こうした薬は主として、退屈で決まりきった繰り返しばかりの教室に、子供達を適応させるためのものではないでしょうか。
そして原因は一部の子供達の欠陥とやらではなく、多くの学校の悲しむべき状態にあるのです。
最適な刺激の理論は、すべての子供が本当の可能性に到達できる教育環境をどのように作り出すかという難問を、私達につきつけています。
『薬を飲ませる前にできる ADHDの子供を救う50の方法』 より
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向精神薬の成分は、覚せい剤に近いもののようですね。
覚醒作用があるはずなのに、ADHDの子が飲むと鎮静するというのは、どういうことなんだろう?? とずっと腑に落ちなかったのですが、そういう理屈なんですね。
健常者が飲むと危険 (覚醒するため) と言われるのも、どうりでわかりますね。
足りない刺激を、薬で脳に直接与えることによって、落ち着かせるんだそう ( ^^;)
これは、根本的な治療とはだいぶかけ離れていますよね。。。
ADHDの子に足りない刺激を、現実的にはそれが難しいという理由で、薬で人工的に与えるわけですから。
でも、本当に難しいのでしょうか? ← 現実的に刺激を与えるということが。
その足りない分の刺激を、教育の場や家庭で 「与えよう!」 と試みたのでしょうか?
本人が落ち着くなら、ロックの音楽を聞きながら学習させてもいいし、ホワイトノイズの音をかけながら学習させてもいいし、立ち上がって動き回りながら学習させてたっていいのです。
家でも、ロッキングチェアやハンモック、ポーチのブランコなどがあれば、お子さんが動きながら同時に本を読んだり勉強したりする場所になるでしょう。
無理に健常者と同じように振る舞わせる理由が、どこにあるのでしょうか?
本では、実際に刺激を多くした環境において、多動児が落ち着いて学習や行動ができるようになった様子も紹介されています。
自分の作業スペースを、自分で選んだ色で覆わせることによって行動や集中力に良いほうの変化が現れることも、右脳思考の学習法という本を書いたバーバラ・マイスター・ヴィタールによって確かめられています。
文字も、ただ黒い文字だけで書かれている場合と比べ、色を使ったほうが注意が向けられることがわかっています。
環境だけでなく食事や運動でも多動は抑えることができるようで、その方法も本のなかで紹介されています。
全体をとおしての感想ですが、
私も、「ADHD=疾患」 という考え方には違和感を感じます。
風邪をひいたから風邪薬を飲むような感覚でADHDだからとすぐに薬を飲もうとするのは、どうかな?という感じです。
飲んだ場合のリスクも、よく勉強すべきだと思います。
この本を読み、やっぱり薬なんて本来は要らないんだよなーと、私は感じました。
話は変わりますが、
企業家のデビッド・ニールマン (ジェットブルー航空CEO)は、自身がADHDであることをCNN放送にて告白しました。
彼は、電子チケットシステムの「オープン・スカイズ」を立ち上げたり、カナダのLCCの代表格であるウエストジェット航空の立ち上げに参画したり、ジョン・オーウェンらと共にジェットブルーを設立したりしましたが、こうしたことを、 「ADHDの特性なしでは成し得なかった」 と語っており、自身がADHDを抑える薬物の飲用をかたくなに拒んでいることを明かしました。
全てのADHDの子ども達が、自分は自分のままでいいんだ☆と自分を肯定して生きていけるように、もっと自由に学べる時代に、変わっていったらいいなと思います。